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東京高等裁判所 平成12年(ネ)1225号 判決 2000年8月17日

控訴人

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

山根二郎

被控訴人

乙山次郎

右訴訟代理人弁護士

小笠原稔

主文

一  原判決中、控訴人の敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  控訴費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文同旨

二  被控訴人

控訴棄却

第二  事案の概要

一  本件は、医師である被控訴人が診療科目に眼科を標榜し、コンタクトレンズの診療及び販売を始めたことに関して、眼科専門医である控訴人が「営利企業のコンタクトレンズ診療所を許すな」との表題で長野県眼科医会会報に掲載した記事により、被控訴人がオウム真理教の信者であると疑われたり、経験のない非眼科医であると虚偽の事実を公表されてその名誉を毀損され、業務を妨害されたとして、控訴人に対し謝罪広告と損害賠償を求めた事案である。

原判決は、名誉毀損を認め、控訴人に対し五〇万円の慰謝料の支払と長野県眼科医会会報への謝罪広告の掲載を命じたため、控訴人が不服を申し立てた。

二  右のほかの事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の当審における主張)

1 原判決が、本件記事は、企業型コンタクトレンズ店による無資格診療や処方ミスによる医療被害に危惧の念を抱いた控訴人が警鐘を鳴らす意味から執筆、掲載したものであるとして、その公共性や公益性を認め、また被控訴人が眼科の専門医ではなく、検眼やコンタクトレンズの装着を無資格の助手に行わせている事実を認定しながら、本件記事が名誉毀損であるとする被控訴人の請求を一部認容したのは誤りである。

2 医療行為である検眼やコンタクトレンズの装着を無資格者が行うことは医師法に違反する行為であるにもかかわらず、原判決が本件記事によって被控訴人の眼科診療行為に対する社会的評価が低下するとしたことは医師法違反行為を是認するもので不当である。また長野県眼科医会の医療問題担当の副会長として会員を指導すべき立場にある控訴人が、被控訴人の医師法違反行為について言及し批判するのは当然であり、その際行為者の人格を非難する要素を含むことは避けられない。それをもって専ら被控訴人の人格攻撃であるとするのも誤りである。

3 原判決は、「まったく経験のない非眼科医」との記載が、医師の資格を有しない者が診療行為を行っていると誤解させるおそれがあるというが、本件記事では、「まったく経験のない非眼科医の開設者」と表現しており、診療所の開設者は医師であることを要するのであるから、被控訴人が医師資格を有しないとの誤解を生じるおそれはない。

4 原判決は、本件記事に被控訴人とオウム真理教との関係を強く疑わせる表現があるというが、控訴人は本件記事で被控訴人がオウム真理教と関係があると断定しているわけではなく、記載内容も事実に基づいたものである。被控訴人がオウム真理教との関係を疑われたのは本件記事が掲載される以前からである。その経営する会社に松本サリン事件の以前からオウム真理教の信者二名を雇用し、その中の一人が麻原彰晃を信州大学に呼ぶなど極めて積極的な活動家であり、しかも右事件後も平成一〇年七月まで雇用し続けていたことなどが原因であって、本件記事によるわけではない。原判決はこの点でも判断を誤って本件記事の公益性を否定したものである。

(当審における被控訴人の主張)

1 控訴人による本件記事に、営利企業のコンタクトレンズ診療所による無資格者医療の危険性を訴える動機があったとしても、同時に、営利企業型コンタクトレンズ診療所の急速な進出と安売りによって、コンタクトレンズの販売価額を高く維持してきた従来のやり方を乱されることへの反発があったのは間違いない。

被控訴人は、そのような問題点を勘案して、医療行為は医師である被控訴人が行い、消費者には従前より廉価なコンタクトレンズを提供する方法として眼科を標榜したのであって、無資格者が医療行為を行っているとされる営利企業型コンタクトレンズ診療所とは全く異なるのである。

2 しかるに、本件記事は、その相違にもかかわらず、被控訴人のZを批判するために、公益性とは関連のないオウム真理教との関係や、医師の資格を有しない者が診療行為を行っているかのような表現を用いており、専ら悪意をもって被控訴人個人を攻撃しているものである。

被控訴人をオウム呼ばわりすることは、営利企業型コンタクトレンズ診療所において無資格者が診療行為を行うことの危険性を訴えることとは全く関連性を有しない異質な問題である。また、被控訴人が医師であり眼科を標榜しているのを十分に承知のうえで、全く経験のない非眼科医という表現を用いたのも、公益的な立場というより個人攻撃の意図があったといわざるを得ない。

第三  当裁判所の判断

一  当裁判所は、被控訴人の請求はいずれも理由がないものと判断する。その理由は、次のとおりである。

1  本件記事の掲載に至る経緯について

当事者間に争いのない事実、証拠(甲一、七の1ないし3、一〇、乙二、四、七の1、2、八の1ないし4、一二、一三、一五ないし一七、二三の1、2、二四の1ないし4、二六、二七、二八の2、原審における証人柳沢孝夫、控訴人及び被控訴人各本人)、弁論の全趣旨によれば、次の各事実が認められる。

(一) 被控訴人は、昭和四八年に医師免許を取得し、以後、精神科の臨床医をしていたが、昭和六〇年四月に生命保険会社の社医となった。平成元年五月にはこれも辞めて、医療業務から離れ、昭和六三年一月に設立していた株式会社Xの代表取締役として美術品の販売業に従事した。しかし、業績が思わしくないため、再び平成四年一二月に松本市開智<番地略>に精神科、神経科、内科及び皮膚科を標榜してXクリニック(被控訴人診療所)を開業し、その傍ら、平成五年一二月にはYという名称で古書やビデオ、CD、骨董品等の販売店を開き、その頃、同店の店員としてオウム真理教の信者であった丙野三郎と丁山四郎の二名を雇用した。

(二) 平成六年六月二七日、いわゆる松本サリン事件が発生した。その現場は、右の被控訴人診療所の近くであり(事件発生時の風向きでは風下)、事件発生直後の同年七月一〇日ころ、オウム信者の一人丁山四郎がYを退職した。

(三) 被控訴人は、平成七年二月に被控訴人診療所を松本市蟻ヶ崎<番地略>△△ビル二階に移転して、診療科目に眼科を加えるとともに、同ビルの一階で同年三月四日からZの名称で前記株式会社Xとしてコンタクトレンズの販売を始めた。これに先立ち、被控訴人は、総合病院の眼科外来や眼科開業医等で眼科専門医の行うコンタクトレンズに関する診療行為を見学し、レンズ装着の指導や必要なアドバイスを受けたものの、眼科に関する専門的な勉強をしておらず、診療経験も有していなかった。

(四) Zの開業当時、すでに松本サリン事件がオウム真理教の仕業であるとの報道があった。そのような中で、被控訴人は、平成七年三月三日、次のような新聞の折り込みチラシを作り、宣伝広告した。すなわち、横尾忠則の版画作品から蓮華坐をした人物の頭頂部から光が発している図柄を無断で流用し、その左上の部分にZの名称と眼をデザインしたマークを載せた。これは、オウム真理教のヴァジラナーヤ・サッチャという機関誌の四号に掲載されたクンダリー・ヨガを図化した絵と類似した図柄であった。

(五) 前記Zでは、処方の必要な顧客に対して被控訴人診療所で検眼等を受けさせていた。しかし、実際には医師である被控訴人ではなく、コンタクトレンズメーカーで訓練を受けただけの無資格の助手が検眼やレンズの装着指導などを行っていた。

(六) 被控訴人は、平成七年五月にオウム関係事件の捜査で事情聴取を受けた。また、その頃、オウム信者の丙野三郎が前記Yを退職した。

(七) 一方、控訴人は、眼科専門医で、長野県眼科医会の副会長として医療問題を担当していた。控訴人は、被控訴人による右のような眼科の標榜とコンタクトレンズ販売店の実情を知り、長野県眼科医会(会員約一四〇名)の平成七年一〇月号(第八一号)の会報(本件会報)に、「営利企業のコンタクトレンズ診療所を許すな」との表題で、次の記事を掲載した。すなわち、被控訴人診療所について「今回松本市に開設されたCL販売会社は、従来のパターンとは異なり、不当ともいえる手段で保健所から診療所の許可を得て、その後に営利企業がCL販売の経営に乗り出したものである。」「本年三月三日、Zの安売広告が、新聞、雑誌、折り込み、そしてテレビを利用して行われた。私共が不思議に思ったのは、広告の構図が今世間をさわがせている宗教団体の機関誌に掲載されているものと全く同じであることであった。」「Zを経営しているのは、市内で画廊、古書、不動産を営む神経科のI医師である。」「クリニックの移転と同時にCL販売を始めた。」「偶然かも知れないが、移転前開業していた場所が松本サリン事件の現場から五〇米程の所にあり、しかも風上であった。」「まったく経験のない非眼科医の開設者が、医療行為である検眼、CLの装着を無資格の販売会社の従業員に行わせているなど、医療法違反の疑いのある」というものであった(本件記事)。

控訴人は、本件記事において、松本保健所に対して医療行為を無資格の従業員が行っている疑いがある旨指摘し、長野県医師会、長野県衛生部に要望書を提出したことも記載している。

(八) コンタクトレンズの安易な処方と装用によって、表層角膜炎、角膜上皮びらん、角膜潰瘍等の角膜障害を内容とする眼疾患を生じる事例が増加している。

そして、その多くが眼科専門医の診察や処方を受けずに、企業型コンタクトレンズ店で無資格者の調整したコンタクトレンズを購入した顧客に見られる。控訴人は、そのような患者を多数診療した経験があり、かねてからこのような企業型コンタクトレンズ店の進出に危惧の念を抱いていた。

控訴人が、本件記事を掲載した目的は、右の危険性について会員に対して注意と自戒を呼びかけるとともに、医師法、医療法違反の実態を報告し、行政当局に対して適切な対応を求めることにあった。

2  本件記事の違法性について

(一) 公共性、公益性の存否

以上によれば、本件記事は、控訴人が、眼科専門医でない被控訴人が眼科を標榜したうえ、営利企業型のコンタクトレンズ店を始めたことから、その危険性を訴え、眼科医会の会員に注意と自戒を呼びかけ、医師法、医療法違反の実態を報告し、かつ、行政当局に対して適切な対応を求めようとしたものである。したがって、公共の利害に係わる事柄について、専ら公益を図る目的から、事実を掲載したものということができる。

被控訴人は、本件記事は、コンタクトレンズの販売価額を高く維持してきた従来のやり方が乱されることへの反発から、営利企業のコンタクトレンズ診療所を攻撃するためのもので、公共の利害や公益とは無縁であるという。しかし、控訴人の目的は前項で認定したとおりであって、営利企業型コンタクトレンズ店や診療所の問題点を指摘することが、公共の利害や公益に係わらないということはできない。

(二)  真実性と違法性について

被控訴人は、本件記事において、控訴人が、①被控訴人のことを全く経験のない非眼科医と表現し、②オウム真理教との関係を強く疑わせる表現を用いたうえに、その診療所を移転する前の場所が松本サリン事件の現場から五〇メートル程の所にあり、しかも風上であったと記載したことについて、事実に反し、またオウム真理教という本件記事の公益性とは全く関連のない事柄に言及して、被控訴人の個人攻撃に及んだものであると主張する。

しかし、前記認定したとおり、被控訴人に眼科医としての経験のなかったことは真実である。また非眼科医との表現をもって被控訴人が医師資格を有しないことまで意味するものとは解されない。そして、被控訴人がZの広告用チラシに用いた図柄がオウム真理教を連想させるものであったこと、及び被控訴人の以前の診療所の所在地が松本サリン事件の現場に近かったことも事実である。

もっとも、控訴人による本件記事の前記のような目的からすれば、必ずしも被控訴人とオウム真理教との関係を疑わせるような内容を本件記事に盛り込む必要性があったものかは疑問である。しかし、すでに認定したとおり、本件記事が掲載される以前に、被控訴人がオウム真理教の信者を雇用していたことなどから、被控訴人とオウム真理教との関係が疑われ、被控訴人が捜査当局から事情聴取を受けていたのであって、本件記事によって初めて被控訴人とオウム真理教との関係が疑われるようになったのではない。しかも、被控訴人は、オウム真理教の存在が社会的に問題視されるようになっていたにもかかわらず、わざわざオウム真理教を連想させるような図柄を広告用のチラシに用いたのである。自らオウム真理教との関係を疑われる原因を作ったともいえる。そのために、控訴人が被控訴人とオウム真理教との関係に疑いを抱いたとしてもやむを得ないものとしなければならない。そして、コンタクトレンズの販売増進のために、医師の資格のある者がきわどい表現を用いること自体も批判の対象たりうるものというべきであって、控訴人が本件記事を掲載した目的とオウム関係の記載とは、全く無関係とはいい切れないものがある。そうすると、控訴人の本件記事には、些か軽率な部分がないではないが、右部分が本件記事においてはあくまでも付随的なものにとどまり、かつ婉曲的な言い回しが用いられていることに照らすと、これをもって損害の賠償等を要する違法性があるとまではいうことはできないものと判断する。

二  以上によれば、控訴人による本件記事の掲載は、名誉毀損としての違法性を欠き、また違法に被控訴人の業務を妨害したものとも認められない。したがって、被控訴人の請求はすべて理由がなく、これを一部認容した原判決は失当であって、取消しを免れないものである。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・淺生重機、裁判官・西島幸夫、裁判官・原敏雄)

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